「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
ニックネーム全集
ニックネームがあると、なんだか「理解しやすい」と感じられる。たしかに、クラシック音楽でも標題音楽が多いし、そういった曲は、標題と内容がストレートに一致する。逆に一致しているようで一致していないものもあり、誤解を受けるものもある(ex.
「ツァラトゥストラはかく語りき」)。しかし、ことベートーヴェンに限って言えば、標題と内容が一致するのは少ない。であるから、標題の意味がわかったとて、その曲を理解することにはつながらない。しかし、曲の理(ことわり)を解する、とは、何を言っているのだろう。何か理念、理屈がわかったら、感動するとでも言うのだろうか。
そもそも、その曲の音の並び具合が、自分にとって面白いかどうか、心に何かを与えるかどうか、なのではないだろうか。音楽は「理解」することから始まってはいけないのである。必要なのは、無心になって聴くことであろう。
なお、ここでは、歌曲などのように、直接、特定の詩や劇に対して付けられた曲は省いた。その名前になるのは当然のことだからである。
■凡例
[俗] ベートーヴェンが認識していない俗称。
[正] ベートーヴェンが認識している名称。
[成句] 決まり文句。
[あ]
あいさつ 「挨拶」
[俗]
弦楽4重奏曲第2番ト長調のこと。曲の冒頭などが、あたかも挨拶を交わすように感じられることから。
主題の作り方のひとつに、前楽節と後楽節というのがある。たとえば、モーツァルトの交響曲第41番第1楽章冒頭。このように、2つの文句の掛け合いというのは、多いのである。であるから、「挨拶」らしき主題は、けっこう多いはずなのだけど。
[い]
いえーなこうきょうきょく 「イエーナ交響曲」
[俗]
ベートーヴェンの、未発見の交響曲ではないかと騒がれたもの。1909年、イエーナで見つかった。
調査の結果、ヴィットの作と判明し、1957年に調査結果が発表された。
[う]
うんめい 「運命」
[俗]
交響曲第5番ハ短調のこと。シントラーの伝記に、冒頭の音型について、「運命はこのように扉をたたく」と答えたと書かれていることから。
この逸話は、シントラーの捏造(創作)と考えられている。日本でよく使用される通称であるが、ヨーロッパでも稀にこう呼ばれることがある。
[え]
えいゆう 「英雄」
→「エロイカ」
えいえんのあれぐれっと 「永遠のアレグレット」
[俗]
交響曲第7番の第2楽章のこと。非常に人気を博した音楽であり、また、冒頭と末尾の和音が同じで、繰り返せば永遠に続くようなイメージを持っていることから。
えりーぜのために 「エリーゼのために」
[俗]
バガテル、イ短調WoO59のこと。自筆譜に「エリーゼのために」と読める書き込みがあったことから。
今では「テレーゼ」の誤りではないかと考えられている。名前が一人歩きして有名になった、稀有の曲。内容が伴っていて、よかった……。
えろいか 「エロイカ」
[正]
交響曲第3番変ホ長調のこと。自筆譜の表紙に「ある英雄の思い出のために」と書かれたことから。
ショパンに同名のポロネーズがあるが、取り違えられることは少ない。あちらは通常「英雄ポロネーズ」と呼ばれる。交響曲第2番から「エロイカ」への進化のギャップは、音楽史上の奇跡と呼ばれている。
えろいかへんそうきょく 「エロイカ変奏曲」
[俗]
「自作主題による15の変奏曲とフーガ」のこと。
バレエ音楽「プロメテウスの創造物」の主題は、交響曲第3番でも使われたため、まれに、こう呼ばれる。
[か]
かっこう 「郭公」
[俗]
ピアノソナタ第25番ト長調のこと。第1楽章に、かっこうの鳴き声に似た音型があることから。
がっしょう 「合唱」
[俗]
交響曲第9番ニ短調のこと。第4楽章に、混声4部合唱があることから。
「合唱付き」と呼ばれるほうが理にかなっている。英語で「コーラス」と書くと、品格が落ちるような気がするのは、私だけだろうか。
がっしょうげんそうきょく 「合唱幻想曲」
[俗]
幻想曲作品80のこと。曲の第3部に混声4部合唱があることから。
ピアノソロから弦楽4重奏や管楽合奏など、さまざまな編成を経て合唱付き管弦楽に至る、構成上、稀有の曲。
幻想曲(ファンタジー)というのは、現代でいうところの幻想的な曲ということではない。構成が非常に自由な曲に付けられることが多い。
かんしゃのうた 「感謝の歌」
[俗]
弦楽4重奏曲第15番第3楽章のこと。「病が癒されて、神に聖なる感謝をささげる」と譜面に書かれていることから。
[く]
ぐれなでぃーらこうしんきょく 「グレナディーラ行進曲」
[俗]
軍隊のための行進曲WoO29のこと。
「擲弾兵(てきだんへい)行進曲」と訳される。
くろいつぇる 「クロイツェル」
[俗]
バイオリンソナタ第9番イ長調のこと。初演をしたバイオリニストのブリッジタワーではなく、何も関係が無いクロイツェルに献呈されたことから。
この曲のみで「クロイツェル」は歴史に名を残したのは皮肉だ。
[け]
げっこう 「月光」
[俗]
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調のこと。詩人レルシュターブが第1楽章について「スイスのルツェルン湖で、月光の中、波にゆらぐ小舟のよう」と言ったことから。
もちろんベートーヴェンはスイスのルツェルン湖に行ったことは無い。
[こ]
こいするおとめ 「恋する乙女」
[俗]
ピアノソナタ第4番作品7のこと。
曲の雰囲気からというが、どこが乙女なのだろうか。これも、曲名と内容が一致していない。そもそも、「乙女」のイメージは十人十色である。
こうてい 「皇帝」
[俗]
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調のこと。
曲の雰囲気から。冒頭の偉容は、圧倒的ですらある。ベスト・マッチの曲名のひとつ。
こくべつ 「告別」
[正]
ピアノソナタ第26番変ホ長調のこと。第1楽章に「告別」と書かれたことから。
第2楽章は「不在」、第3楽章は「再会」となっている。「告別」は、悲劇的な別離ではない。ちょっとの期間会えないだけのことである。なお、出版譜には、フランス語で"Les
Adieux"とあるが、実際のニュアンスは違う。フランス語では、かなり長期の別れ、あるいは再会できない別れという意味になるが、ドイツ語の"Lebewohl"は、別れといっても、数ヶ月で再会してしまうくらいのものなのだ。
ハイドンにも同名の交響曲があるので、こちらは「告別ソナタ」と呼ばれる。
こりおらん 「コリオラン」
[正]
コリンの戯曲「コリオラン」への序曲のこと。
この序曲は戯曲の前座として演奏されるためのものではなく、オマージュである。したがって、交響詩の先祖と考えてよい。
こんなんなけっしん 「困難な決心」
[俗]
弦楽4重奏曲第16番第4楽章のこと。冒頭に、「そうであらねばならぬか?」「そうであらねばならぬ」と記された動機が併記されていることから。
[さ]
さんじゅうきょうそうきょく 「3重協奏曲」
ピアノ、バイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲ハ長調のこと。
この編成で現在も生き長らえているのは、ベートーヴェンの協奏曲以外には無い。
[し]
しんやくせいしょ 「新約聖書」
[成句]
32曲のピアノソナタのこと。
クラシック音楽で「新約聖書」といえば、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを指す。対して、旧約聖書はバッハの「平均率クラヴィーア(ピアノ)曲集」のこと。
[す]
すぷりんぐ 「スプリング」
→「春」
[せ]
せりおーそ 「セリオーソ」
[俗]
弦楽4重奏曲第11番ヘ短調のこと。自筆草稿に、「セリオーソ」(まじめな、厳粛な)と書かれていたことから。
せんそうこうきょうきょく 「戦争交響曲」
[俗]
「ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い」のこと。
せんていこうそなた 「選帝侯ソナタ」
[俗]
WoO47の、3曲のピアノソナタのこと。献呈されたマクシミリアン=フリードリヒが、ケルンの選帝侯であったことから。
[そ]
そうそうこうしんきょく 「葬送行進曲」
1.[俗]交響曲第3番第2楽章のこと。世界で最も有名な葬送行進曲。
2.[俗]ピアノソナタ第12番変イ長調のこと。第2楽章に「葬送行進曲」があることから。
ショパンに類似の曲があり、そちらは「葬送ソナタ」と呼ばれる。
[た]
だいく 「第9」
[俗]
交響曲第9番「合唱」のこと。
クラシック音楽で「第9」といえば、まず交響曲第9番「合唱」を想定することになっている。言外に、超大作という意味がある。「だいきゅう」とは読まない。
たいこう 「大公」
[俗]
ピアノ3重奏曲第7番変ロ長調のこと。ルドルフ大公に献呈されたことから。
「太公望(たいこうぼう)」とは関係無い。
だいふーが 「大フーガ」
[正]
弦楽4重奏のための「大フーガ」変ロ長調のこと。弦楽4重奏曲第13番変ロ長調から分離して出版する際に、「大フーガ」としたことから。
たのしく−かなしく 「楽しく−悲しく」
[俗]
ピアノのための小品WoO54のこと。表意記号として、「楽しく−悲しく」と書かれてある。
[て]
でぃあべりへんそうきょく 「ディアベリ変奏曲」
[俗]
ピアノのための変奏曲作品120のこと。主題が出版業者ディアベリの作であったことから。
てきだんへいこうしんきょく 「擲弾兵行進曲」
→「グラナディーラ行進曲」
でんえん 「田園」
1.[正]交響曲第6番ヘ長調のこと。初演時に「田園生活の思い出」と説明されたことから。
単に「田園」といわれた場合は、この交響曲を指す。
2.[俗]ピアノソナタ第15番ニ長調のこと。出版業者のクランツが「田園ソナタ」と名づけて出版したことから。
17世紀頃から「田園曲(パストラル)」という8分の6拍子ののどかな曲種があり、それがこのソナタの第4楽章に相当すると思われた。交響曲と取り違えられるため「田園ソナタ」と呼ばれる。
てんぺすと 「テンペスト」
[俗]
ピアノソナタ第17番ニ短調のこと。シントラーの伝記に、このソナタと「熱情ソナタ」を理解するヒントを尋ねたシントラーに対して、ベートーヴェンは「シェークスピアのテンペストを読め」と答えたと書かれていることから。
しかし、「テンペスト」を読む必要は全く無いことに気付かねばならない。
同名異曲が存在するが、知名度の点で取り違えられることはない。
[と]
とりぷる・こんちぇると 「トリプル・コンチェルト」
→「3重協奏曲」
とるここうしんきょく 「トルコ行進曲」
[正]
劇音楽「アテネの廃墟」にある行進曲のこと。
モーツァルトの同名曲と取り違えられる。ピアノ曲と思い違いをされる場合が多いが、れっきとした管弦楽曲である。当時、トルコの音楽は流行のひとつであった。楽器として、シンバル、トライアングル、大太鼓の3点セットを含む。
どろてあ・ちぇちりあ 「ドロテア・チェチリア」
[俗]
ピアノソナタ第28番のこと。ドロテアは、献呈された人(ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人)の名前から。
チェチリアは、音楽の守護聖女という意味。稀にしか使用されない名称。
[な]
なくしたこぜにへのいかり 「なくした小銭への怒り」
[俗]
ロンド・ア・カプリッチオ作品129のこと。正しい副題は「小銭をなくして怒り心頭、カプリースで怒りをぶちまける」。
ベートーヴェンが付けた名前ではなく、出版社が名付けた。しかし、いかにもベートーヴェンらしい名前ではある。
[ね]
ねつじょう 「熱情」
[俗]
ピアノソナタ第23番ヘ短調のこと。出版業者のクランツが「熱情ソナタ」と名づけて出版したことから。
日本語で「情熱」にはならなかったところが面白い。曲の性格としては、たしかに燃える感情が認められる。
[は]
ぱすとらる 「パストラル」
→「田園」
はーぷ 「ハープ」
[俗]
弦楽4重奏曲第10番変ホ長調のこと。第1楽章のピチカートが、ハープに似た効果を出していることから。
はる 「春」
[俗]
バイオリンソナタ第5番ヘ長調のこと。
後世の人が名づけた。「スプリング・ソナタ」とも呼ばれる。日本人としては、「春」の情感にベスト・マッチであるが、ドイツの春が日本の春と同じかというと、はたしてどうだろうか。
ヴぁるとしゅたいん 「ヴァルトシュタイン」
[俗]
ピアノソナタ第21番ハ長調のこと。ヴァルトシュタイン伯に献呈されたことから。
はんまーくらヴぃあ 「ハンマークラヴィア」
[正]
ピアノソナタ第29番変ロ長調のこと。ベートーヴェン自身が名づけた。第28番イ長調も「ハンマークラヴィア」と命名されていたが、第29番のみの呼称になってしまった。
[ひ]
ひそう 「悲愴」
[正]
ピアノソナタ第8番ハ短調のこと。ベートーヴェン自身が「大ソナタ 悲愴」と名づけたことから。
チャイコフスキーと取り違えるため、「悲愴ソナタ」と呼ばれる。短調で劇的に始まるから「悲愴」と呼ばれるだけのことである。
[ふ]
ふうふげんか 「夫婦喧嘩」
[俗]
ピアノソナタ第10番ト長調のこと。シントラーが「男女の対話(主義の争い)が認められる」と述べたことから。
ただし、日本でのみ、稀にしか使われない名前。いかに日本人が、曲を理解しようとして曲以外のものにイメージを求めたかどうかがわかる。
ふめつのきんじとう 「不滅の金字塔」
[成句]
クラシック音楽では、ベートーヴェンの9つの交響曲を指す。「不滅の9曲」とも呼ばれる。
他の分野の「金字塔」はいざしらず、こと音楽において、この「金字塔」を越えることは結局不可能であった。
ぷろめてうすへんそうきょく 「プロメテウス変奏曲」
[俗]
「自作主題による15の変奏曲とフーガ」のこと。主題が、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」の主題を使用していることから。
[ま]
まちのうた 「街の歌」
[俗]
ピアノ3重奏曲第4番変ロ長調のこと。第3楽章の主題が、当時の流行歌から採用したものであったことから。
[め]
めーどりんぐぶきょく 「メードリング舞曲」
[俗]
WoO17の、11の舞曲のこと。温泉保養地メードリングでベートーヴェンが作曲したといわれることから。
最近は、偽作であるとなっている。
[ゆ]
ゆうれい 「幽霊」
[俗]
ピアノ3重奏曲第5番ニ長調のこと。第2楽章に、幽霊が出てきそうな幻想的な雰囲気を持った部分があることから。
西洋の幽霊は呪いを伴っていないので、おどろおどろしいわけではない。
[よ]
よるくぐんだんこうしんきょく 「ヨルク軍団行進曲」
→「ヨークシャー行進曲」
よーくしゃーこうしんきょく 「ヨークシャー行進曲」
[俗]
軍隊のための行進曲WoO18のこと。ヨルク地方の軍隊のためのもの。
[ら]
らずもふすきー 「ラズモフスキー」
[正]
弦楽4重奏曲第7、8、9番の3曲の総称。ラズモフスキー伯に献呈されたことから。
ベートーヴェン自身が、手紙などで「ラズモフスキー弦楽4重奏曲」と呼んでいる。
順に「ラズモフスキー1番」「ラズモフスキー2番」「ラズモフスキー3番」と呼ぶ。一方、弦楽4重奏曲第12、13、15番は、ロシアのガリツィン侯爵に献呈されたが、番号が飛んでいることもあって、ニックネームにはなっていない。
[れ]
れおのーれ 「レオノーレ」
1.[正]歌劇「フィデリオ」の最終改訂前の名前。
2.[正]歌劇「フィデリオ」のための、第1番から第3番までの序曲のこと。
「レオノーレ第1番」「レオノーレ第2番」「レオノーレ第3番」と呼ぶ。実際の作曲順は、第2、第3、第1。
[ろ]
ろまんす 「ロマンス」
[正]
バイオリンと管弦楽のためのロマンス、ヘ長調とト長調のこと。ゆったりとした優しい音楽を「ロマンス」と呼ぶことがある。
恋愛とは全く関係が無い。
(2005.12.1)